ニッチユーザーの不定期日記

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タダとは尊い犠牲の中に(スーパーマリオランに対するユーザーの反応から思う事)

今は亡き、任天堂の中興の立役者、岩田社長がDeNAと協業し、スマートフォン産業への参画を発表してから、1年半近くが経とうとしている。

当時、据え置きハードであるWiiUが苦戦を強いられており、スマホゲームに否定的だった岩田社長が遂に折れざるを得なくなったかと思っていたが、任天堂側としては、スマホユーザーを逆輸入的にゲーム市場に引き込むというのが狙いだったようだ。

 

そして先日、満を持して任天堂のアイコンである「スーパーマリオ」のアプリゲーム、「スーパーマリオラン」が発売された。

 

ゲームをダウンロードすると、3ステージまでが無料で遊べて、1200円を課金すると完全版を遊べるという、いわゆる買い切り方と言われている売り方だ。

 

スマホ業界の参画当時から、果たして任天堂はどのような業態にするのか、注目されていた。買い切り方にするのか、基本無料のアイテム課金型にするのか。

今、スマホゲームの主流は基本無料のアイテム課金型。従来のハードに対して、買い切り方でサービスを提供する任天堂の方針は、スマホ業界では危ない橋だと思われた。

 

配信してから数日、アプリの評価に散見されるのは「タダでできない」、「3ステージだけやらせて、残りは課金とは酷い搾取だ」と、買い切り方についての批判が並んでいる。

 

自分は、ゲームとはゲーム機とソフトを苦労して手に入れ、少ない財産からやりくりしながらゲームを遊んでいた世代。ゲームがタダでできるなんて、夢のような時代を通ってきているオッサンである。

 

そんな自分も、スマートフォンを手にし、いわゆる基本無料型のゲームを少なからず触っているが、ゲームの良し悪しについて、1ユーザーとして感想を述べるにしても、しょせんコンテンツをタダで消費している、価値のない感想だと自負している。

 

特に若い世代、10代~の子供たちは物心がつく頃から、スマートフォンが身近にあり無料で遊べるアプリがあふれていた。そんな環境で育ってくれば、お金を払わないと最後まで遊べないゲームは価値がないということになる。

 

恐らく、このシステムに不満を漏らしているユーザーは、アプリゲームにはマネタイズというものが存在することを知らないのだろう。

本当に全員がタダで遊んでいたら、メーカーはあっという間に赤字を招き、早々にサービスが終了することになる。

アプリメーカーが、高校の経済の授業の一環などでアプリゲームのマネタイズについて、講演してみるというのも面白いかもしれない。誰かやってくれないだろうか。

 

海外のとあるサイトが調査したところ、大体、一つのゲームでサービス全体を支える課金ユーザーは、全ユーザーの10%にも満たないという結果だったそうだ。

今、どのアプリゲームもこの少数の課金層によってサービスが支えられている。

 

今回の「スーパーマリオラン」についても、頻繁に課金を行っているユーザーからは、「1200円さえ払えば、すべてのサービスが使えるとは安い」、「10連ガチャよりも安く遊べるなんて」、と買い切り方に対する意見は好意的だ。

 

しかしながら、ゲームの大半を消費するのは無料で遊んでいるユーザーである。批判が起これば、圧倒的な数になり、結果としてゲーム全体の評価になってしまう状況である。

 

かなりの暴論だが、思い切ってサービスに対する意見については、課金が多いユーザーから優先的に処理することを明文化してみるのはどうだろうか。

まぁ、無料ユーザーからすれば、無料で遊べるようにしているのが悪い、という事になるのかもしれないが。

 

ゲームに対する意見を言えないのは問題があるが、無料ユーザーは極端に言えば、漫画雑誌を立ち読みし続けているユーザーなのだ。文句は言っても、決して自分たちが価値に見合う投資をしていない、ということを頭の片隅に置いておかねばと思うのである。

 

個人的に、「スーパーマリオラン」はアプリとして「Lite版」と「完全版」を別にして置くという対応が必要だったのではないだろうか。

この二つをはっきりと差別化し、Lite版はあくまでも体験版であることを明記すれば、また違ったユーザーの反応があったのではないかと思った次第。