VR狂想曲(PSVRの予約に踊らされる)
9月24日、PSVRの第3弾にして最後の予約タイミングとなった。
かつて、近未来でVRヘッドセットを付けたオンラインRPG世界で起こる事件を描いたゲーム、「.hack」シリーズに触れたのが大学時代のこと。
いつか、こういうゲームを実際に体験してみたいと思っていた未来がすぐそこまで来た。
PC用として開発された、「Oculus Rift」や「HTC Vive」といったVRマシーンは高性能ではあるが、なかなか手が出ずらい値段であったり、接続するPCのスペックもそれなりのものを要求され、ハードルが高い印象だ。
PSVRは性能は若干劣るものの、PS4とセットで揃えても値段は上記の二つの約半額近くで揃えることができる。
PSVR発売の発表以来、ワクワクし続けていた自分は、発売日に必ず手に入れたいと思いながら、予約はできずじまいの状況である。
そもそもの失敗は1回目の予約解禁日。先着順での予約販売でお祭り騒ぎだった店舗とは裏腹に、抽選予約を宣言していたビックカメラについては、都内は一部を除いて確保台数と抽選申込者が同一で、落選なし、という店舗も多かったというニュースが流れていたが、当日、都内にいたにも関わらず、あきらめて帰ってしまった自分の情報収集不足が本当に悔やまれるところだった。
2回目の予約解禁日。解禁時刻と同時にソニーが公式で発表している密林をはじめとするネットショップサイトに張り付いていたものの、全然サイトに繋がらず、ようやく繋がったと思ったらすべて完売。この時も、後になって情報を調べてみると最寄りのヨドバシカメラで、朝7時半ごろに到着したユーザーも予約券が取れたという事実を知り、あと2時間早く起きて店舗に行っていればと悔しい思いをした。
そして、今回である。今度は早朝から車で出発し、始発前にヨドバシの店舗に到着、待機用の折り畳みチェアも準備万端で向かったところ、列の最後尾にいた警備員から既に並んでいる人だけで予約台数が埋まってしまったと告げられた。見たところ、列は僅かに30人強。あまりの台数の少なさに愕然としながら帰路につく。
2時間ほど仮眠をとった後、今度はビックカメラの店舗での抽選申込に行く。発表時刻まで近くのマックで時間をつぶし、発表番号を確認しに行くが、ここでも当選発表枠の台数は僅かに50台。当然のことながら落選し、泣く泣く帰宅することになった。
このタイミングで手に入らないとなると、もはや年内での購入も厳しいような気がしてきた。一緒に行った友人は、PS4Proへの買い替えを検討していて、その頃までに買えればいいか、と軽い気持ちだったそうだが、同じく年内の購入は無理だろうと考えているようだ。
しかしながら毎度毎度、ヤフオクなどに並ぶ、おびただしい転売記事が憎らしい。全額先払いでの予約のため、金額的なところでメーカー側は圧迫されないが、本当に使いたいと思っているユーザーからすると、悔しい限りである。商品がないものについて、権利だけの販売は違反という規約があるのだが、その数は一向に減らない。
かつてPS4の発売時、十分な台数が出荷され、発売当日でも並ばずに店頭で買える状況で、塩漬けを恐れた転売屋が量販店より安くして、被害を減らすという事態にニヤニヤが止まらなかったのだが、今回は転売屋がほくそ笑む状況になってしまっている。
このお祭り騒ぎ、そもそもソニーはどこまで予測していたのだろうか。
SIEのアンドリュー・ハウス氏が台数の不足について憂慮している旨のコメントを出していることから、予想以上の反響があったことは読み取れる。
メーカーの予測を超えた需要に、生産ラインも追いついていないのかもしれない。
現状、日本でのPS4の販売台数は300万を突破したとのことだが、PSVRはどうなるだろうか。
ファミ通の調査によれば、PS4の所有者年齢は10代後半~30代までがメインの購入層となっている。数字はほぼ均等になっているものの、その中でやはりゲームハードで遊んでいた30代が一番多い状況だ。
家族の有無にもよるが、収入が安定してくる30代でゲームが好きな人であれば、PSVRについては購入を検討する人も多いのではないだろうか。
2014年段階でのデータだが、PS4購入者の36%、実に4割近くが30代である。例えば、そのうちの半分がPSVRを買うとなると、約18%。300万を突破したのはしばらく後になるが、それでもパーセンテージに動きがなければ、約15万台となる。
また、ここに来て先ほどのPS4の定価値下げで、その台数は加速することになる。
あぁ…書けば書くほど、倍率が高い勝負に挑んでいる敗北感。
一応、最後の砦であるビックカメラのネット通販抽選予約に申し込んだが、あまり期待していない自分がいるのだった。
あると思っていた日常が失われた日(こち亀の最終回によせて)
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、通称「こち亀」がついに最終回を迎えた。
40年の週刊連載で、一度も休載なしという記録はきっと今後も塗り替えられることはないだろう。
こち亀の掲載誌である「週刊少年ジャンプ」を読むようになったのは、小学3、4年生のころ。それまでは、コロコロコミックのような、児童向けの月刊誌を読んでいて、週刊少年誌については存在を知っている程度であった。
興味はあったのだが、なんせ月の小遣いが少ない小学生のころ、週刊誌を買い続けるのは経済的に不可能だったため、興味があっても触れる機会はなかったのである。
ところが、友人の一人が、定期的に近所のゴミ捨て場にジャンプが置かれていることに気づき、こっそり持って来て回し読みをするようになり、ついに自分も「ジャンプ」の世界を体験することとなる。
当時のジャンプは、「ドラゴンボール」、「幽遊白書」や「SLAMDUNK」といった今も語り継がれる伝説級漫画から、「ドラゴンクエスト」を下地にした「ダイの大冒険」、ホラーやミステリーの要素を取り込んだ冒険活劇「ジョジョの奇妙な冒険」、今のジャンプにはなくなってしまったバリバリの不良漫画「ろくでなしBLUES」、小学生には刺激が強かった「まじかるタルルートくん」や「電影少女」、その他もろもろ、読まないところはないほど、所狭しと名作がひしめきあっていた。
その中で、ポツンとある、何だかわからないけど、タイトルが長いお巡りさんが出てくる漫画、「こち亀」との出会いである。
しかし、ジャンプを回し読みしていた当時、しばらくスルーをしていた。理由は単に興味が沸かなかったのである。
ある時、たまたま、いつものゴミ捨て場にジャンプがなく、その週は読むことができない。でも、続きが気になる漫画はいっぱいある。
迷った挙句、ついに自分の小遣いをはたいて、ジャンプを買うことにした。
自分で買ったからには、ちゃんと読もう、といつも読まない「こち亀」にも目を通すことになる。
図ったかのように、「こち亀700回記念」、両津の昔話エピソードの一つ「勝鬨橋ひらけ」の回であった。
めちゃくちゃいい話で感動し、なんで今までこんないい漫画を読まなかったのかと後悔。今度は1ヵ月に1巻分を購入するようになる。
そんな時、これまた偶然のように、近所に住む年の離れた先輩が、部屋を片付けるついでに漫画を処分するということで、欲しいものがあったら持って行って構わないと言われ、お邪魔すると、なんとそこには1~50巻ぐらいまでの「こち亀」、ところどころ抜けてはいたが、嬉々として持ち帰り、読みふけっていた。
余談だが、とにかく文字情報が多く、1巻を読む平均時間は、他のそれを余裕で上回っていく。以前にも書いたが、自分が当時、他の子どもと比べても漢字の読みに強かったのは、この圧倒的な文字情報を何度も繰り返し読んでいた経験があったと思われる。
中学生になり、お小遣いも少し増えて、いよいよ新刊を買いつつも、まだ揃っていない過去作を一通り揃えることになる。これだけ長いシリーズの単行本を1巻から揃えたのは初めての作品であった。
高校生になり、アニメ、ゲーム、漫画にどっぷりな時期、お小遣いも増え、買い漁った本で部屋が手狭になり、100巻を超えていた「こち亀」の処遇に困り始める。ジャンプは定期的に読んでいたため、「こち亀」もコミックスを買う前に内容はすべて知っている状況で、集めているという前提のためとりあえず買っていた時期。気づけば、買っている「こち亀」の単行本をほとんど読まなくなっていた。
大学になり、いよいよ漫画の量で部屋のキャパが限界。決心を固め、大量の漫画処分を決行。「こち亀」もその対象となった。繰り返し読まなくなったこともあったが、当時、漫画喫茶が台頭し、巻数の多い漫画は読みたくなった時に漫画喫茶に行けばいい、という思考になっていた事もあった。
大学時代の半ばごろから、ジャンプ本誌の「こち亀」もあまり読まなくなった。つまらなくなったという訳ではなく、「こち亀」がジャンプに載っているのは当たり前で、一話完結でいつでも読める安心感から、気が向いたら読むというスタンスに変わっていた。
大学卒業後、ジャンプ、マガジン、サンデーの三大誌も目を通していたものの、かつての黄金時代のように端から端まで読むようなことはなく、気になっている作品をいくつかチェックする程度。自分が読みたい漫画は青年誌や角川のメディアミックス系漫画誌の方にシフトしていて、気づけば「こち亀」は読まなくなっていた。
近年は、ジャンプ系のコミックスも買うことはなくなった。
本屋で立ち寄るのは青年誌や角川系漫画誌、新興漫画雑誌の棚ばかりとなり、少年誌の棚にある「こち亀」を頑張ってるなぁと横目にみているだけであった。
いつまでも終わることがない、と錯覚していた「こち亀」。それが、ここに来て最終回を迎え、妙な喪失感を味わっている。
考えてみると、「こち亀」は載っている事が日常であり、空気のような存在になっていたのかもしれない。例えるなら、当たり前のようにいる近所の友人だったり、家族だったり、いるのが当たり前のものがなくなってしまったような感覚だ。
最終回の発表の際、「こういう時だけ、『最近読んでないけど好きだった』とか『もっと続いて欲しかった』とか言いやがって!」と両さんがキレるというネタがあったが、耳が痛いところではあるが。
しかし、一区切りをしたところでスパッと終わらせるという決断をした秋本先生の潔さだったり、両さんのキャラクターとしての美学を感じさせられて素直に感動している自分もいる。
最終回を迎えたが、その終わりは完結というよりは、両さんたちの日常は続いていくことを匂わせてくれるもので、きっといつかまた会えると思わせてくれる内容だったのも嬉しかった。
また、近々で新作の連載が開始されるのも楽しみだ。「ミスタークリス」の連載再開も嬉しいが、「こち亀」の下町イズムを継承してくれそうな銭湯漫画「いいゆだね」に期待したい。
個人的希望は、「こち亀」とも絡みがあった漫画で、下町の工務店の娘、立花静が主役の「東京深川三代目」の新作を作って欲しいところ。
物語の都合と割り切るには勿体ない(「君の名は。」を観てネタバレ考察)
話題になっている「君の名は。」を鑑賞。
公開情報が出た当時、自分はあまり注目していなかった作品でもあった。
別に新海作品が嫌い、というわけでもないが、緻密な背景によるリアルさと、その描写力で妙に自分の心を抉ってくる切ないエンディングのイメージがあるので、とりあえず、機会があったら観るかな、ぐらいの軽いものではあった。
ところが、公開直後から各所で注目され、リピーターも続出する盛況ぶりに誘われるように観てきたが、非常に清々しい気持ちになれる良作であった。
以下、ネタバレ
↓
↓
↓
↓
↓
作品の中で、個人的に気になった個所と、それに対する自分なりの解釈など。
瀧と三葉の間に、三年のズレがあったにも関わらず、何故、気付かなかったのか。
ましてや、日記をつける作業は日付を確認する作業ではないのか、という疑問が沸いてくる。
最初の入れ替わりから数回、二人は「これは夢だ」という感覚で、自分の体験を現実として受け入れていない。
しかし、何回かの入れ替わりのあと、互いが入れ替わっていることを現実と認識し、何とか周りと齟齬がないよう、取り繕う日常に追われていく。
そして、それに慣れてくると、自分ではない「キャラクター」を疑似体験する楽しさ、ロールプレイをしているような感覚になり、お互いがベストと思われるロールプレイをしようと試行錯誤を始める。
その中で、お互いの人間性を理解していくにつれ、気になる異性となってくる。そして、世界に恐らく二人しか共有していない秘密は、急速に惹かれあうようになるトリガーだ。
もう一つ重要な伏線は、互いに入れ替っている間のことは、目覚めると細部が不鮮明になる、と言及していることだ。
恐らくだが、劇中で二人は入れ替わっている事実を認識しつつ、夢の中で仮想現実に生きている感覚もどこかに残っていて、完全に現実として認識できていなかった可能性もある。この辺は、三葉の祖母、一葉が「夢を見ている」と指摘しているのが的を得ているのかもしれない。
もっと長い期間、この出来事が続いていれば、自分たちに起きている現象の謎の解明をはじめ、ズレに気付く可能性は高いが、そもそも入れ替わりが始まってから、三葉の死亡まで、劇中での季節の変化の描写が見られなかったため、ひと夏ぐらいの短期間ではと推測される。
そして、瀧は憧れの先輩から、「君は今、別の好きな人がいる」と指摘をされて、初めて三葉に対して「好きだ」という感覚に気づき、電話をするという行動に出る。
それまでは、互いの意識を共有する半身という認識であり、自分に対して電話をするという意識も生まれない。他人であるということに気づいた時に、終わりが来てしまったのではないだろうか。
新海作品には珍しい、リアルな日常を描きつつも、非現実的なファンタジー設定を中心に描かれる作品ということで、時間や意識といった色々な解釈も楽しい作品である。もう一度見てもいいかなと思いつつ、パッケージ化の情報も待ち遠しい。
余談だが、主題歌の「スパークル」は鑑賞後に即購入。聞いた直後に思わず買いたくなった主題歌は「サマーウォーズ」の「僕らの夏の夢」以来。
音楽も重要なファクターとして位置づけている新海作品らしく、作中のイメージが脳内プレイバックできる曲は素晴らしい。
大事なことはマンガから教わった(「学べるマンガ100冊」発売イベントを観覧)
いやはや、PCを使っていて常々思うのは、とにかく字が下手な自分は、デジタルな文字表記にものすごい助けられている。
紙に書くと、まるでミミズが這っているような字で、悩みの一つではあるのだが。
とはいえ、この便利さとは裏腹に、いざ紙に文字を書こうと思った際、文字を打てば勝手に漢字変換までしてくれるという事が原因で、漢字を忘れているということが多くなってきた今日この頃である。
思えば小さい頃、漢字テストの結果は人並みではあったが、周りの人たちと比べて読み仮名問題での結果は結構高いところにいた。
恐らく、それは自分が同世代の中では結構マンガを読んでいることが多かったからだと思う。
マンガを読んでいると、漢字には大体読み仮名がしっかりついていて、難しい漢字や特殊な読み方なんかも書いてあったりして、自分の漢字知識はマンガのおかげだと言える。
そんなマンガから学習要素を見出そうと、2015年から日本財団で「これも学習マンガだ!」というプロジェクトが動いている。
新しい世界観、価値観の発見や将来の仕事についてなど、学びにつながるマンガを選出して国内外に広めていこうという興味深い趣旨だ。
先日、2015年のプロジェクトの集大成として、「学べるマンガ100冊」を発売し、トークイベントが行われていたので観覧をさせてもらった。
選出された100冊はカテゴリ分けをされ、それぞれどういった理由で選考されたのかが書かれていて、「キングダム」、「ベルサイユのばら」などの歴史に関するマンガや、「ブラックジャックによろしく」、「め組の大吾」など職業を主題にした納得のチョイスから、生命と世界のカテゴリで「寄生獣」について紹介したり、科学と学習のカテゴリで「もやしもん」を紹介したりと、意外と尖った内容の作品もあり、なかなか面白い。
プロジェクトメンバーである漫画家の里中満智子先生は、作者である立場の視点はもちろん、ヘビーなマンガ読者として、マンガが持っている多様性から学べる事。そして、キャラクターたちのやり取りから学ぶ対人関係、コミュニケーションなど、とにかく熱いトークが繰り広げられ、レジェンド級の漫画家として貫禄の意見を述べるとともに、チャーミングな人柄も随所に出ていて非常に楽しいトークショーであった。
同じくゲストとして呼ばれていた発起人の一人である山内康裕さんは自分と同じ年だが、マンガに関するイベント、ワークショップ、デザイン、執筆、選書など様々な場所で活躍しているスーパーバイザーである。
以前、別のイベントで名刺交換をさせてもらっており、今回もトークショーの随所で
里中先生のフォローなどに回って、参加者にわかりやすい解説をしてくれていた。
とにかく苦労したのは、100冊に絞るという作業だったそうだ。選書をしているメンバーは各分野の識者であるとともに、マンガについての知識が豊富で、その中で各自がこれだと思うものを挙げてもらうと、キリがないくらいの量になるし、またどれも納得できるもので、いくつかの条件を設け、とにかく100冊に絞ったとの事。そういうことなので、当然、読者は「あの作品がない!」と思うだろうが、そういう議論はもう、さんざんやりつくしてきたそうだ。
プロジェクトが「これも学習マンガだ!」という名前なのは、つまりはそれぞれが思う学習マンガがあるけど、「これも」読んでみて欲しいという意味である。
選書して紹介するだけでなく、公共図書館や学校図書館にスペースを作り、置いてもらう活動を進めたり、教育の中に取り込めるよう様々なアプローチをするなど、本格的な活動も行っている。
山内さんとお話しさせてもらった際、自分の親たちの世代はマンガを読む行為と、勉強することは反対の行為であり、そういう意味ではマンガばかり読んでいることを良しとしないところだった。だが、マンガで育ってきた自分たちが親の世代になると、マンガを読む子供に対するハードルは下がっていて、親が買ったマンガを子供が読んだりする時代になったのでは、という話をしたのだが、どうやらそうでもないらしい。
今の子供たちにはソーシャルゲームやネットTV、Youtubeなど、新たなエンターテイメントがあり、マンガ以外のコンテンツに人口が流れていること。また無料で読めるマンガサイトの登場で、その中で暇つぶし程度に読めればいいと思っている子供も増えてきており、子供社会でのマンガの存在感は自分たちが子供のころと比べると、決して高くない。
そのため、学校図書館への設置をすることで、マンガの良さを知ってもらいたいという思いもあるそうだ。
2016年も引き続き活動を続け、2016年版の出版も検討されているそうで、次はどんな本が選ばれるのか、自分もワクワクしている。
余談だが、自分が小さい頃に繰り返し読んで、おそらく漢字の勉強になっていたのは「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」である。
秋本先生は死ぬまでやるんだろうなと思ってたのだが、まさか連載終了になるとは、本格的にジャンプも世代交代なんだなと思ったり。
昔は普通だと思っていた難易度が、今では難しい世界(KOF14プレイ所感)
先日、「THE KING OF FIGHTERS(以下KOF)14」が発売され、早速購入した。
前作から約6年ぶりの新作、正式なナンバリングタイトルである。
1990年代の格闘ゲームブームを牽引していたSNK(のちにSNKプレイモア)。同社のタイトル「餓狼伝説シリーズ」や「龍虎の拳シリーズ」などの人気キャラクターを一同に会したお祭り的な作品であった。シリーズを重ねる毎に様々な裏設定が加えられ、多彩なキャラクターとともにそのストーリーにもワクワクさせてくれた。
そもそも最初のKOF、「THE KING OF FIGHTERS 94」が発売されたのは1994年。自分が中高生の頃の話である。以降、毎年、西暦下二ケタのナンバリングタイトルがゲームセンターで稼働するが、次第に開発スピードは失速、西暦表記から発売順のナンバリングに変更され、詳しくは割愛するが諸々の理由でKOFは徐々に衰退し始める。
意外なことに、日本では衰退気味だったKOFだが、海外、特に中国市場では人気が高いらしい。
SNKの初期の格闘ゲーム基板の海賊版が大量に流通していた中国では知名度が高いことと、安くなった基盤が街のゲームセンターなどでは重宝され、長年稼働されていたことなどで、人気を保持し続けたのだとか。
2015年に、パチスロ業を展開していたSNKプレイモアが、同事業から撤退。満を持してゲーム開発一本に事業を据えることを発表したのは、往年の格ゲーファンにはうれしいニュースだった。
閑話休題。
兎にも角にも、なんだかんだでKOFシリーズについては、PS2時代に発売された外伝シリーズ「KOF MAXIMUM IMPACT」シリーズも買っていた自分は、義務のように最新作も買っている。
やってみた感想としては、「あれ、KOFってこんなにぬるかったっけ?」ということ。
いや、今でも対戦に関していえば相変わらず初心者お断りなのだが、かつてのKOFを知っている自分ではちょっと拍子抜けするくらいCPU戦がぬるい。
自分はぶっちゃけ格闘ゲーム歴は長い方だが、基本、初心者に毛が生えた程度のライトユーザーである。
大まかなシステムは理解しているものの、とりあえず基本操作ができて、なんとなくコンボが出せて難易度が普通のCPU戦でストーリーを楽しめればいいという程度なので、対戦に行くと、それはもうボコボコである。
しかし、かつてのKOF、特に2000年前後に発売されていたものでは、ノーマル難度でもストーリーのラスボスがベラボーに強くて、特定のキャラでのハメなどを使わないと初心者では全く勝てない設定だったと記憶している。
ストーリーを最後まで楽しめなくて、ゲーセンでのクリアを諦め、結果的に自分はゲームセンターに足が向かなくなっていったのではと思ったりもするぐらい。
前作の13も難易度は下がったなというイメージはあったけど、今回は特にぬるくて、初心者でもちょっと頑張れば勝てる難易度なんじゃないだろうか。
最近の時流なのか、格闘ゲームがハードルが高いと言われ続けてきた各メーカーが、新規層の取り組みに試行錯誤している中で、入門編であるストーリーは簡単にクリアできるようにしたという想像ができなくもないけど。
しかし、KOFのウリの一つである、これでもかというほど大人数のキャラクターが、どれを使おうか目移りさせてくれるところはうれしい。操作を覚えるのは大変なんだけど、色々試して、自分に合ったキャラを探す作業は、結構時間泥棒されるぐらい楽しませてくれる。
3Dモデルには若干の違和感がありつつも、エンディングでの2Dモデルはよくできている。女子キャラは可愛いし。
ネタバレになるかもしれないけど、特殊な組み合わせでの対戦時は掛け合いが挿入され、かつてのSNK作品を知っている人なら、ニヤリとする名前が出てきたり、エンディングでは、今回のKOFではプレイアブルになっていなキャラクターも登場するファンサービスもあったり。
ただ、声優さんが大量に交代になってしまい、その違和感だけはなんとも言えない。
旧声優の声質に近い人を選んでいるということで、頑張っている感はあるんだけど、やっぱりオリジナルの方がと思わなくもない。
まぁ、理由は色々あるけど、新生KOFはやっぱり格ゲーファンとしては嬉しい限りで、ここをスタートとして次に繋がって欲しいと思っている次第。